2010年 09月 11日
「マン・レイ展」「ネイチャー・センス展」 |
「マン・レイ展」 - 国立新美術館
僕は写真を撮っているため、マン・レイと聞いたらあぁポートレート撮ってる人ね。というイメージを持っていたが、すぐにそれは覆された。
この展示はマン・レイの人生の流れを見る事が出来る構成になっている。
見始めて5枚くらいで思った。シュールレアリスムのにおいがする。
それは勿論正しかった。憎たらしいほど突飛な"画"、というよりも"形"が多く、何度も笑ってしまった。この飛んで行っている感覚が僕はシュールレアリスムを見る上で大好きだ。多分これを書いているときは、もうイメージだけの世界観を頭に描いて、いや感じて筆を動かしているんだろうなぁという感覚。
そんな中、非常に美しい1冊の本を見つける。
中身は女性のヌードとポールエリュアールの詩。
絶妙な余白で綴られた文章と、撮影された写真。素晴らしく美しく、完璧な構成だった。欲しい。
そうこうしているうちに、色々色々やってる人なんだなぁというのがよくわかる展示だった。展示数も半端じゃないくらい沢山あって、満腹どころか、食べ過ぎて消化しきれず頭痛いくらい。
とても楽しめる展示だけど、覚悟してから行くべきだと思った。
「ネイチャー・センス展」 - 六本木ヒルズ森美術館
森美術館はだいたい年間4つの展示をしている。
大概は逃さずに見に来ていて、いつもいつもそのクオリティの高さに驚かされていた。そして今回もそんな展示に負けない、というか非常にクオリティの高い作品を見る事が出来た。
まず、一歩。圧巻。少し呼吸が荒くなるくらい、興奮。
そして冷静に見る。空間の取り方、光の見せ方、色の使い方、そして見ている者の立ち位置。どれをとってもパーフェクトなセンスだった。
どれが欠けても勿体ない。どれもがなければ成立しない空間。
展示は次々と現れる。"モノ"を中心とした一人目の展示が終わると、巨大なスクリーンが見えてくる。また圧巻。
動画とはこんな見せ方があるのかと心打たれる。
動体を中心とした作品を見る。映像、水、血。そのどれもに心が揺れる。
3人目は、もっと優しい展示。
質感がもっとも感じられる、自身が少しだけ参加できる展示。
参加できる展示とは面白い。なぜか自分がそのアーティストの内側に少しだけ入れたような気分になる。誰しもが入ってみたくなる。入っても僕らのセンスでは何も見えてこなかったりするんだけれども。
このネイチャー・センス展。
あまりにも先進的な展示で度肝を抜かれた。美しすぎた。
時間がある人は是非訪れると良いと思う。特に何かブレイクスルーが欲しいときなんかは、良い展示だと思った。
僕ももう一度訪れる予定。
今回は芸術、特に絵画に詳しい人と訪れたのだけど、何よりもこの展示をへとへとになるまで見て、その人の意見を沢山聞けたのがすごく楽しかった。
写真を知っている人と、絵画・デザインを知っている人。
そんな人間が同じ展示を見たときに、どんな感想でどこで共感し、逆にどんな部分で相違が出るのかが知りたかった。
実際それがわかったかと言われれば、理論的にはよくはわからなかったけれども、感覚としては色々とわかったと思う。すごく刺激になった。
この感覚がものすごく大事。特に芸術に関しては、刺激が非常に大事だと僕はこれも感覚として知っている。
感覚とばかり書いているけれど、言葉じゃ表せないんだよ、本当に。
とりあえず最後に、今回の展示で共通して感じたところは、空間・余白の取り方こそ、緊張感と存在感を持たせる最も簡単で、最も有効な方法であるということだった。
僕は写真を撮っているため、マン・レイと聞いたらあぁポートレート撮ってる人ね。というイメージを持っていたが、すぐにそれは覆された。
この展示はマン・レイの人生の流れを見る事が出来る構成になっている。
見始めて5枚くらいで思った。シュールレアリスムのにおいがする。
それは勿論正しかった。憎たらしいほど突飛な"画"、というよりも"形"が多く、何度も笑ってしまった。この飛んで行っている感覚が僕はシュールレアリスムを見る上で大好きだ。多分これを書いているときは、もうイメージだけの世界観を頭に描いて、いや感じて筆を動かしているんだろうなぁという感覚。
そんな中、非常に美しい1冊の本を見つける。
中身は女性のヌードとポールエリュアールの詩。
絶妙な余白で綴られた文章と、撮影された写真。素晴らしく美しく、完璧な構成だった。欲しい。
そうこうしているうちに、色々色々やってる人なんだなぁというのがよくわかる展示だった。展示数も半端じゃないくらい沢山あって、満腹どころか、食べ過ぎて消化しきれず頭痛いくらい。
とても楽しめる展示だけど、覚悟してから行くべきだと思った。
「ネイチャー・センス展」 - 六本木ヒルズ森美術館
森美術館はだいたい年間4つの展示をしている。
大概は逃さずに見に来ていて、いつもいつもそのクオリティの高さに驚かされていた。そして今回もそんな展示に負けない、というか非常にクオリティの高い作品を見る事が出来た。
まず、一歩。圧巻。少し呼吸が荒くなるくらい、興奮。
そして冷静に見る。空間の取り方、光の見せ方、色の使い方、そして見ている者の立ち位置。どれをとってもパーフェクトなセンスだった。
どれが欠けても勿体ない。どれもがなければ成立しない空間。
展示は次々と現れる。"モノ"を中心とした一人目の展示が終わると、巨大なスクリーンが見えてくる。また圧巻。
動画とはこんな見せ方があるのかと心打たれる。
動体を中心とした作品を見る。映像、水、血。そのどれもに心が揺れる。
3人目は、もっと優しい展示。
質感がもっとも感じられる、自身が少しだけ参加できる展示。
参加できる展示とは面白い。なぜか自分がそのアーティストの内側に少しだけ入れたような気分になる。誰しもが入ってみたくなる。入っても僕らのセンスでは何も見えてこなかったりするんだけれども。
このネイチャー・センス展。
あまりにも先進的な展示で度肝を抜かれた。美しすぎた。
時間がある人は是非訪れると良いと思う。特に何かブレイクスルーが欲しいときなんかは、良い展示だと思った。
僕ももう一度訪れる予定。
今回は芸術、特に絵画に詳しい人と訪れたのだけど、何よりもこの展示をへとへとになるまで見て、その人の意見を沢山聞けたのがすごく楽しかった。
写真を知っている人と、絵画・デザインを知っている人。
そんな人間が同じ展示を見たときに、どんな感想でどこで共感し、逆にどんな部分で相違が出るのかが知りたかった。
実際それがわかったかと言われれば、理論的にはよくはわからなかったけれども、感覚としては色々とわかったと思う。すごく刺激になった。
この感覚がものすごく大事。特に芸術に関しては、刺激が非常に大事だと僕はこれも感覚として知っている。
感覚とばかり書いているけれど、言葉じゃ表せないんだよ、本当に。
とりあえず最後に、今回の展示で共通して感じたところは、空間・余白の取り方こそ、緊張感と存在感を持たせる最も簡単で、最も有効な方法であるということだった。
by youhei_ohoka
| 2010-09-11 00:31
| 展示など